キング・オブ・カジノ!ミスティーノでバカラに挑戦

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ポーカー、ルーレット、ブラックジャックなど、数あるカジノゲームの中でも長い歴史と不動の人気を誇るバカラ。『キング・オブ・カジノ』とも称され、トランプを使ったシンプルなゲーム内容ながら、世界中のプレイヤーから愛されています。かつてはカジノの中でもハイクラスのためのゲームに位置づけられ、スタッフもプレイヤーも正装し、一般プレイヤーが立ち入れないバカラピットでプレイされることもあったバカラですが、現在はミスティーノアプリなど、オンライン上で気軽に遊べるようになりました。わざわざラスベガスまで飛んで行かなくても、ライブカジノなら自宅のソファの上でもカジノの臨場感が楽しめてしまいます。

いつの時代もプレイヤーたちを飽きさせることがないバカラですが、ここではその歴史を紐解いていきたいと思います。

イタリア発祥?

バカラがいつどこで生まれたのかは諸説あり、今でも議論の対象となっているほどで、実際のところはハッキリとはわかっていません。しかし数ある説の中でも、最も有力とされているのがイタリア発祥説です。14世紀ごろにイタリアの貴族たちがタロットカードを使って遊んでいたのが起源となったのではないかと言われています。10とフェイスカードの価値がすべてゼロであることから、イタリア語で「ゼロ」を意味する『バッカーラ』と名付けられたそうです。また、印刷技術が未発達だった当時、カードを所有すること自体が富裕層しかできなかったこともあり、こうしたカードゲームは基本的には貴族を中心とした特権階級だけの娯楽であったと考えられています。また、ルール自体も現在のバカラとは少し違っていたと思われます。

フランスで大流行

こうしてイタリアで発生したバカラはやがてフランスの王宮にも伝わり、上流階級の人々の間で人気を博します。そのあまりの熱狂ぶりに、ルイ・フィリップ国王が1837年にカジノを違法化したほどでした。当時のフランスでは、バカラはフランス語で「鉄の道」または「鉄道」という意味の『シュマン・ド・フェール(Chemin de Fer)』、または『Chemy』と呼ばれ、その後、何世紀にも渡って王侯貴族を中心に好んで遊ばれるようになりました。そしてイギリスやオーストリアなどヨーロッパ各国で広く普及していくこととなります。19世紀に入ると特権階級だけでなく、一般市民の間にも広く浸透しはじめます。そしてそれぞれの地域で様々な文化を吸収し、ルールも多彩に変化していくこととなりました。

海を渡ってアメリカ大陸へ

こうしてヨーロッパで娯楽のひとつとして根付いたバカラは、海を越えてアメリカ大陸にも伝わり、南米やキューバでは『プントバンコ』と名を変えて親しまれました。やがてキューバ出身のトミー・レンツォーニなる人物が、このプントバンコをラスベガスに持ち込んだところ大人気を博し、これが今日まで長く続くアメリカでのバカラ人気の基盤になったとも言われています。そしてバカラは時の流れとともに形を変え続け、アジアではスピーディーでさまざまなサイドベットやバリエーションが用意され、ダイナミックでエキサイティングなゲームへと変貌を遂げました。さらにインターネット技術の進歩とともに、現在ではオンライン上でもバカラをプレイすることが可能になり、プレイヤー人口を増やし続けています。このようにゲーム内容が多様化すると、カジノ初心者ならルールがわからず不安になるかもしれませんが、ミスティーノでは丁寧なゲーム紹介が用意されているので、ぜひ挑戦してみてください。

使用するものはカードだけというシンプルなゲーム内容ながら、その長い歴史とともにルールも洗練され、バリエーションを増やしてきたバカラ。かつてのヨーロッパの王侯貴族たちや、有名な映画のワンシーンのようにあなたも華麗でクールな体験を味わってみませんか?

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